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台町の地名由来

一住居表示の余話一

 

 

 古川市台町商店街や「アークヒルズ台町」と言われる「台町」の歴史は、藩政時代までさかのぼる「三日町」や「七日町」と比べ、極めて浅い。しかし、浅い割には由来が明らかではなく、語源を残す資料もはとんどないと言ってよい。 地名はそもそも、その土地の地理的条件や風物、産業などとも深く、かかわるもので、「台町」の語瀬は「臺屋敷」がルーツだったと推察される。

「台町」が名実ともに“市民権”を得たのは、戦後初めて住居表示が行われた昭和43年2月のことである。古川市総務部企画財政課の資料によると、住居表示以前の「台町」は、大柿字十日町、大柿字鼠(ねずみ)屋敷、大柿字東浦、中里字鼠(ねずみ)屋敷、中里字大町、それに中里字臺屋敷で、これら地域の全部あるいは一部が区割り統合して新しい「台町」が誕生した。

 しかし、「台町」という地名、呼称は、それ以前から地区民の問で広く使われ、周辺地区からもそう呼ばれていた。古川市区長設置に関する規則(昭和27年施行)資料には、すでに「台町区」の文字が見え、その後、台町百店会や台町婦人会が第1回住居表示審議会(昭和42年1月)提案の第1次案(区割り)に対して要望書を出している。

「台町」の真の確立は、自警団が発足して地域住民が一丸となった噴からスタートしたが、実際の地名の由来は「量産敷」「鼠屋敷」が最も信濃性が高いようだ。

 一説では現在の七十七銀行古川支店周辺が、三本木町の館山(城址)と同じくらい、高台にあるという。事実、館山は海抜57メートル。これに対して古川市役所は海抜23メートル。十日町以東や七日町より高くなっているため、館山とはぼ同じ高さで見えたらしい。

 十日町周辺は、周辺地域に比べ小高い丘になっており、雨水が流れたり、小洪水になっても丘には水がのぼらなかった。当然、付近の田んぼや住居下から鼠が集まり、一帯は鼠のすみかとなった。当時の人は、そんな光景を目のあたりにして「鼠屋敷」「台屋敷」と呼んだらしい。

 宮城県内では伊具郡丸森町に「台町」という地名が見られるが、こちらは「台町古墳群」として知られ、出土品などから東北地方を形成した古墳時代の中・後期と推定される。いずれも小高い丘になった地形特徴が地名の由来と見るのが自然ではないだろうか。

 台町の住居表示について当時の関係者は大賛成だった。しかし問題は区割り。当時の「台町親交会報」第2号によると、最初区長を通じて示された市側の案は、東浦、 中里通りを境にして、天賞堂、金丸側(第1班)は十日町、佐藤豆腐店から藤本源六商店を含む3班、5班の一画が中里、さらに東側向かい錦寿司等は駅前にそれぞれ分割。残りを台町とするものだった。

 このため、市案では台町行政区がズタズタに切断されてしまうので急きょ、役員会を開き、翌日市役所に大挙押しかけ、鹿郷顧問はじめ区長、役員ら50数人が市長に請願。1時間余にわたって話しあった結果、全面的に台町の意見が入れられ、現区画はそのまま。さらに東浦通りの東側旧電報局の一帯まで台町に入ることになった。議会では当初「大町一丁目」とか「大町二丁目」という区名が出て論議されたが、鹿郷雄珠氏から意見を求められた金原蔵義氏らは「台町」でなければならない理由を申し述べて意見の集約を見た。金原氏らは「台町」が小高い山になっているため、洪水になっても埋没しない土地柄、地理的条件などを考慮して落着した。当時の親交会の熱意が実を結んだものとして現在に語り絶がれている。

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