Arc Hills Daimachi
新 道

昭和25年代

商店街の戦後構築 話題の「金比羅神社」

 

 

 昭和25年は、古川市制が施行され、旧古川町など1町6カ村が合併して全国276番目の市が誕生した。

 一方、国内外に目を向けると戦争の傷跡を残しながらも復興のきざしが見られるようになり、国土建設がスタート。朝鮮戦争の勃発を機に「特需景気」が起き、米軍の戦争遂行上必要な業務が需要拡大。日本資本主義の復活がこの時から軌道に乗った。

 こうした中で台町の姿はどうだったのだろうか。戦後復活した古川七夕飾りは5色の紙テープが舞い、七夕本来の竹飾りが目についた。絢爛豪華な現代の飾りに比べ、素朴な吹き流しはまさに隔世の感があったという。

 昭和初期にお目見えしたコーヒー、ココアも、米城薬局の位置に喫茶店があり、台町で飲めたが、ココアの看板を反対に読み、「アココって何だ」というエピソードも。

また、風俗営業も活気を取り戻し、ダンスホールがにぎわった。旅飽の建物を利用したホールは、戦後の若者でいっぱいだった。

 一方、台町と言えば「金刀比羅神社」で知られ、神社境内に続く「こんぴら横T」は今に名を伝えている。神社は大正末期、当時七日町にいた「千葉卯七さん」が別荘として建てたものだが、「台町の守り神」にすると言われて寄付した台町の人も多く、現在は佐藤病院で管理している。

 神社境内には古川馬車鉄道で活躍した馬を弔うため馬頭観音碑もあるが、「金刀比羅」は仏教の守護神。古代インド語(サンスクリット)では「クムビーラ」(ガンジス河のワニ)の意があり、海の安全、大漁を願う人々の信仰が商売繁盛の神に転化したといわれている。

 「こんぴら祭り」は一時中里地区の人たちも協賛して実施。当時60店を超えた商店の人も有形無形に協力したが、交通安全、商売繁盛を願う気持ちはいっの時代も変わらず、商店街の近代化事業を終えて「アークヒルズ台町」となった平成元年12月以降、発展のシンボルに位置づけている。

 昭和30年代前半には藤崎、丸光の営業所が台町に出店。大手企業の進出が口火を切った。

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宮城県大崎市古川台町

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