Arc Hills Daimachi
新 道

昭和40年代

商業の転換期迎える 大型店ラッシュ開始

 

 

 昭和40年は、アジアで初の東京オリンピック大会が開かれた翌年。戦後20年の高度経済成長、所得倍増計画が国策として進められ、その渦中だった年と言ってよい。

 ベトナム戦争に反対する市民運動が、「べ平連」の組織化によって、日本国内に広まった。イリオモテヤマネコの頭骨と毛皮が発見され、のちの天然記念物指定(昭和42年)につながった。「ILO(国際労働機関)87号条約」に日本政府が批准したはか、JR(当時国鉄)に「みどりの窓口」が設置されたのもこの年だった。一方、景気は立ち直りを見せ、「いざなぎ景気」と呼ばれる好況が訪れ、カラーテレビ、カー、クーラーの“3C”が新三種の神器とされた時代、自動車生産額が世界3位に達し、成長率の高まりが注目された。

 昭和40年の台町は、老舗(しにせ)の業態に加え、外部からのテナント出店も見え初め、商業の転換期を迎えた時代と言える。この時代変化が結果的には10年後の振興組合結成、後退、拡幅により近代化事業に結びついた。沿道の商店は、ほとんどの店が現在地の店舗で商売を行い、二昔前ながら商店態様が整った。大型専門洋服店(総合衣料)が出店し、第1種大型店(ェンドー古川駅前店)が台町通りで営業したのも40年代前半。古くからコツコツ商売をしてきた商店主にとっては驚異となり、次第に車社会に対応する店舗、商店街づくりが迫られた。従って既存商店は生き残りをかけた経営を余儀なくされ、台町通りの拡幅、商店個店の刷新の必要性が高まった。消費者二一ズも多様に変化、来訪者の交通安全確保に向けて、歩車道の分離がなかった台町通りには縁石による分離帯が設けられた。このシステムは「台町方式」と呼ばれ、のちの国県道にも数多く採用された。

 40年当時の商店数は、ざっと70店強。浮沈を繰り返しながらも着実に店舗が増える一方で、商売をあきらめたテナントも少なくない。しかし、そうした人々も他の商店街で成功したケースが多く、事実、テナント時代の台町商店街で商売を覚え、別天地に土地と店舗を構え、今なお“古川商人”として生きている。台町の歴史は他の商店街に比べて極めて浅いが、多くの商人を育て、現在では、古川市の中心商店街の地位を築いたように、商人の町であり、それは県北商業中心地の中心として君臨していることを物語っている。

戻る

宮城県大崎市古川台町

台町商店街振興組合

〒989-6163 宮城県大崎市古川台町10-3

TEL 0229-23-7491

© 2020 アークヒルズ台町商店街