Arc Hills Daimachi
新 道

昭和15年代

商店街から応召出征 爆弾投下で犠牲者出る

 

 

 台町は昭和に入ると店舗構成も変化、沿道にはさまざまな業種が出店し、商売の町をほうふつとさせる形態ができ上がり、現在のアークヒルズの基礎が築かれた時代でもあった。

 まず店舗構成で特筆されるのはタクシー会社が2社あった。昭和17、18年まで営業した「キングタクシー」のほか、「文化タクシー」いずれもフォード、シボレーなど、外車を有し、1社で最高2台まで持っていた。

 また、暖房用の木炭、練炭、豆炭を売る店があり、風呂に使う亜炭を商売にしている店もあった。生活、暮らしぶりは、太平洋戦争の突入前と言いながらも、8月のお盆には「盆火」が表通りを飾り、「送りお盆」にはもちを焼いて食べた。

 元朝参りには芸者さんも瀕を出し、古い時代から戦争が続いてきたとは思えない、のんびりのどかな生活、地方都市の一断面をのぞかせた。

 すでに専売局古川出張所(たばこ卸、買い付け)や東京日々新聞出張所なども見え、となり組組織(町内会)が地域の親睦交流の役目を果たした。「パパコヤ」は1銑商いの店。名物おばさんがイナゴの佃煮や小間物食品を子供相手に売り、当時のチビッ子たちの人気の的だった。

 しかし、真珠湾攻撃で日本が軍国主義をそのままに歩んだため、台町からの出征光景も見られ、商店街沿道では「祝出征」ののぼりを立て、「日の丸」の小旗を振って戦地に赴く応召兵隊さんを見送った。古川駅のプラットホームでも「バンザーイ」が聞こえた。昭和15~19年のことである。

 戦争と台町。忘れられないのは、当時台町にあった日蓮正宗一乗寺(現在は北町に移転)の境内参道東側に爆弾が落とされ、不幸にも全半壊6戸、7人が亡くなった。

 近くには防空ごうが東西に造られていたが、終戦直前の昭和20年8月、山形県新庄市を空襲した米軍機が帰り道、古川上空を通過し、防空ごう西端に爆弾を落下。その破片や爆風などで大人から子供まで男女7人が貴い生命を失った。古川市内唯一の空襲として後世に末長く伝えていかねばならない戦争悲話である。

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