Arc Hills Daimachi
新 道

昭和53年代

無電柱時代への前進 台町方式の歩道

 

 昭和53年ごろと言えば商店街の近代化事業を実施しようとして振興組合を結成(昭和50年)した直後のこと。大型店の出店攻勢機運が高まり、既存商店街も体質改善を迫られていたころである。商店街で特筆されるのは「台町方式」の歩道設置問題だっ た。

 振興組合の前身、百店会では交通量の増加に伴う来客、通行人の安全確保のため、台町通りに歩道をっくることになった。当時、国(仙台地建)ではすでに中新田などで実施していた「金網み方式」のフェンスを取り付けようと計画した。しかし、台町では美観上も良くない、道路が狭い、反対側の商店に横断しにくいなどの理由で、この地建案に反発。第2回説明会では当初案を実施すると強行姿勢を貫く国側に対し、商店街関係者は断固反対。憤然として説明会場を総退場した(台町親交会報第2号から抜粋)。

 台町実は、歩車道を分離するに当たって現況道を活用、路盤を斜めにカットし、分離するという案だった。その後、第3回説明会では地建側も態度を軟化。台町案に賛成し、ガードレール(フェンス)は取り付けないことで一致した。

 ところが工事が始まると最初の線から50センチも内側に切り始め、電柱のあるポイントではわずか30センチの歩道しかできないために関係者大いに驚き、当時の北目古川市助役らを現場に招き、さらに鹿郷顧問らで仙台工事事務所に陳情。最初の線まで戻すことが決定され、石森会長が考案し、提案した「縁石」が設置されることになった。

 改造前の商店街に「縁石」が埋め込まれたのは昭和40年代半ばのことである。快適な買い物環境をつくるために関係者が一致団結して取り組んだ苦心談の1つだった。商店街に歩道があったり、歩車道分離帯を設置するのは今でこそ当然のことと考えられるが、当時としては極めて勇断だったと言える。

 台町の道路を歩車道2つに分離するには狭かったと言われるが、関係者の熱意が行政を動かした。こうした商人パワーは、近代化事業の着手にあたり50年代から随時統合、集約され、電柱、電話線の撤去、無電柱化へと大きく発展していったのである。

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