Arc Hills Daimachi
新 道

大正10年代

古き良き時代の大正 古川馬鉄の名残

 

 

 大正10年と言えば、関東大震災の前年にあたり、生活、暮らし向きはゴム製品が高級品の時代だった。台町の子供たちの学校は現在の古川第一小、当時古川尋常高等小学校と呼んでいた。交通手段は徒歩、運搬 は荷車、一方で自転車も実用化に入った。

  当時の台町は、明治41年の大火の後で整備した道路が広くなり、沿道には商店や住 宅が張り付いていたが、店の裏側に一歩足 を運べばほとんど水田地帯だった。

  住民の中には「ラージ」という英国製の自転車を持つ人がおり、価格は一台で1 ケ月の給料分に相当する50円だった。

  商店街の中には名物店も多く、古老たちは今から約70年前の思い出を鮮明に記憶している。十日町交差点の七十七銀行古川支店は以前、東北貯蓄銀行だったが、大正時代は小屋掛けの射的場、今でいうゲームコーナーだった。コルク鉄砲で的を射、当たった商品をもらえる「パチンコ店」。結構、 遊んだ人が多かった。また、大石カルシウムせんべい店も忘れられない。店頭にのぼり旗を立て、赤い族に白抜き文字がくっきり浮かんでいた。直径約5センチのせんべいは、独特の風味があり、売れに売れた。

  陸羽東線古川駅が開業(大正2年)すると、廃止した馬鉄による荷物輸送が鉄道に替わり、運送店などの流通業者や旅人、行商の旅棺なども出てきた。

  一方、佐々木喜代治、見山文治郎、岡本 卯三郎、2代千葉愍治の4氏が大正2年、 共同で出資した「古川製材所」の第1工場、 第2工場があった。

  この共同製材所は、翌3年に西古川駅ができると、佐々木喜代治が独立して製材業 を営み、岡本卯三郎らも工場を分割した。

 このほか、栄治茶屋、吉岡屋のうどん、そば、髪結店もあったが、当時の婦人は和服姿が主流。自前の長い髪を結う人がほとんどで、洋服は、洋品店か弁護士の息子ぐ らいしか着ていなかった。

  当時の子供たちは「古川座」(映画館) に行った帰り、黄金焼きや大福餅を食べたことがあり、今なお、この味を忘れられない人がいる。秋になると毎年のように東京大相撲、柴田サーカスなどの興業が行われ、大正時代はまさに古き良き時代だった。

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